ぶらりきんさい草津まち

草津まちガイド倶楽部

草津のまちを愛する会主催

去る8月25日(土)26日(日)の両日『草津のまちを愛する会』の主催で
『第4回オープンミュージアム〜ぶらりきんさい草津まち』が開催されました。
古き良き町並みを残す、旧国道(西国街道)の小泉酒造店近辺では、『まちガイド』
『絵手紙展示』『酒造コンサート』路地裏での『軒先マーケット』子供たちが
大喜びした『ささ舟レース』『昔なつかし写真展示』など
多彩なイベントがくりひろげられました。

 天気予報では雨となっていた8月26日、日曜日。うって変わって心地よい
お天気に恵まれ「草津まちなみ探訪マップ」を片手に(町屋コース約1時間)
我々は、まだまだたくさん残る歴史の町並みを探しに出発した。
国道2号線からほんの少し入った狭い三角地帯に未だに残っている歴史の
ある家屋やいわれのあるお寺、300年以上も生きつづけている松の大木など
普段、気にも留めることのなかった小さな町並みに
こんなにも古い文化や歴史が残っているとは思いも寄らなかった。
そんな『草津の路地裏』にぶらりとでかけてみた。


思わず写真を撮りたくなる町並み(旧国道沿い 小泉酒造店)。

小泉酒造店前を10時スタート。

「ほうれんを置きとどめる処」と読み、明治18年には明治天皇、明治27年には昭憲皇太后が、小泉家で休憩されたのを記念して建てられた「記念碑」。

奥に見えるこんもりした緑の山は草津城の本丸跡。(水軍城だった)今は山陽本線や宮島線で三つに分割されている。写真の近辺は浜田藩の広い船屋敷や三次藩の船奉行所があった。

ふらり細い路地に入ると軒先で手作りの物やフリーマーケットでいろいろな物が売っていた。ぶらりと近所の人達が買いにきていた。

昔のめずらしい三階建ての家屋。その隣には大正ぐらいに建てられたと思われる家。さらにその隣には最近のマンション。なんとも不思議な構図だ。これが草津のまちなみなのだろう。

廃船の船板を使って建てられた家屋今も朽ちることなく健在だ。近くに寄って見ると船を作る時の釘が打ってあるのも貴重だ。

ベンガラを塗った格子構えの趣のある古い建築物。軒先が長いのも特徴。

今のガラスの一升瓶がない頃、せともので出来た一升徳利の入れ物。番号を付けお酒を入れて売っていた。『通い徳利』とよばれていた。

山口酒店の店先に展示してあった『いのこ石』。

会合やお座敷などがある時に貸し出していたお酒を燗する道具。下方に炭を入れて使ったそうだ。

戦前まで使われていた「有田焼陶樽」。山口酒店の2代目ご主人は先代からの品々を大切に保管されていた。

船大工さんが建てた家屋。何百年経っても健在だった。

船大工さんの魂の象徴である飾り。

草津の路地は『ジグザグ地取り』になっていて、右の家の建て方もジグザグに建ててある。敵から身を隠しやすくするためだったそうだ。町は入り組んでいて遠くが見渡せないように工夫してある『遠見遮断』。

京都を思わせるような格子構えのある玄関。格子戸をカラカラと横に開けるとさらにその奥には分厚いもう一枚の扉があり、下から上へと引き上げるようになっている厳重な玄関。

西楽寺の親鸞上人さん。お寺に来られる方達を優しいまなざしで見下ろしていた。

草津の氏神様『草津八幡宮』。推古天皇(625)の頃に創祀され12世紀に八幡神が合祀され現在に至っている。

慶長の頃からあったといわれる『大釣井』。草津は火を使う小さな家庭工場が点在していて大火事もたくさんあった。この通りは防火用道路として作られ、道幅が他の路地より広い。釣井(つるい)が整備され、このように体制が出来た後は火事が少なくなったといわれている。

『幸福稲荷神社』社神は倉稲魂神といわれ、五穀をつかさどる神様。室町時代時代に草津村が大火や災害に苦しんだため、建徳年間(1370)に建立されたといわれている。

浄教寺 山門。

浄教寺。300年生き続けている黒松。「臥龍松」の三つの太い枝が20mものびて龍がうねっているように見える。300年の歴史をじっと見守ってきたのだろうか。

午前の部12名がガイドさんの後をついてひと通り回ったわけだが
解散後、「もう少し散策してみたい」とガイドしてくれた方の
説明を思い出しながらあちこちと回り直してみた。
車も通れないほどの狭い路地だったが何百年も変わることなく
ゆったりとした穏やかな草津の空気が流れていた。
(スケッチは平山さんからお借りしました)


草津の路地にひっそり
咲いていたネムノキ

鉢植えでもみごとに
咲いていた朝顔の花

平山、根本の取材でした。

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